第42回物故者追悼集会

前日の五月の陽気から一転して春の嵐が予想されなかで四月四日に「出版工クラブ記念碑」のある葛飾区・乗願寺で、全印総連本部、全印総連東京地連、印刷出版OB友の会の共同主催による「第四二回印刷出版労働運動物故者追悼集会」が開かれました。
本年は一九人の追悼者名簿を掲げ、鈴木真光副住職の読経の中を参列者一四人が故人を偲びました。
法要後には、全印総連・大塚委員長、OB友の会・柳内代表世話人があいさつをし、加藤OB友の会事務局長の献杯で懇親会に入りました。
参加者全員が故人との想い出や近況を出し合い和やかに過ごしました。
大塚委員長は挨拶で「印刷の賃上げは思うように行っていない、トランプのイラン攻撃で石油が心配で紙やインキ、あらゆるものに影響が出ている。下請けを含めてこれからが心配だ」と発言しました。柳内世話人は「出版工クラブ記念碑」が建立して来年は五〇年になる。戦前の治安維持法によって多くの人たちが犠牲になった記念碑なので、来年の追悼集会には多くの人の参加者を迎えましょうと訴えました。

「出版工クラブ記念碑」の由来(碑文より)

一九三五年元全協(注・日本労働組合全国協議会一九二八年結成)労働組合員柴田隆一郎及び白石光雄を中心に、印刷出版労働者の親睦を目的に和工会を設立、一九三七年出版工クラブに改組、戦時下弾圧の厳しい中で、東京都内百余工場に一五〇〇名の会員を組織す。一九四〇年日本の労働組合はすべて官製組織産業報国会に吸収される、出版工クラブはこれに抗し非公然活動を通じ印刷出版労働者の生活と権利擁護、戦争反対の戦いを展開、一九四一年特高警察に探知され多数逮捕、三名投獄、一九四五年柴田は非転向のまま獄死。終戦後クラブ員は印刷出版労働組合結成と、民主的印刷所の基礎を作るために努力、一九四七年出版工クラブはその任務を果たし解散す。ここに碑をつくり永く記録す。

一九七七年一一月